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2009年04月 アーカイブ

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生い立ち

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1873年4月1日(ユリウス暦では3月20日)、ノヴゴロド州セミョノヴォに生まれ、同州オネグに育った。父母ともに裕福な貴族の家系の出身で、父方の祖父はジョン・フィールドに師事したこともあるアマチュアのピアニスト、母方の祖父は著名な軍人だった。両親とも音楽の素養のある人物だったが、受け継いだ領地を維持していくだけの経営の資質には欠けていたようで、セルゲイが生まれた頃には一家はすでにかなり没落していたらしい。ノヴゴロド近郊のオネグは豊かな自然に恵まれた地域で、多感な子供時代を過ごした。

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4歳の時・・・

4歳の時に母から最初のピアノの手ほどきを受けた。その後彼のためにピアノ教師としてペテルブルクからアンナ・オルナーツカヤが呼び寄せられ、レッスンを受けた。9歳の時ついに一家は破産し、オネグの所領は競売にかけられ、ペテルブルクに移住した。まもなく両親は離婚し、父は家族の元を去っていった。セルゲイは音楽の才能を認められ、奨学金を得てペテルブルグ音楽院の幼年クラスに入学することができた。

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不良でした・・・

彼は教科書の間にスケート靴を隠して出かけるような不良学生で、12歳の時に全ての学科の試験で落第するという事態に陥った。悩んだ母はセルゲイにとって従兄に当たるピアニストのアレクサンドル・ジロティに相談し、彼の勧めでセルゲイはモスクワ音楽院に転入し、ニコライ・ズヴェーレフの家に寄宿しながらピアノを学ぶことになった。

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音楽家としての目ざめ

ズヴェーレフは厳格な指導で知られるピアノ教師で、ラフマニノフにピアノ演奏の基礎を叩き込んだ。ズヴェーレフ邸には多くの著名な音楽家が訪れ、特に彼はピョートル・チャイコフスキーに才能を認められ、目をかけられた。モスクワ音楽院ではアントン・アレンスキーに和声を、セルゲイ・タネーエフに対位法を学んだ。後にはジロティにもピアノを学んだ。同級にはアレクサンドル・スクリャービンがいた。

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ズヴェーレフと弟子

ズヴェーレフは弟子たちにピアノ演奏以外のことに興味を持つことを禁じていたが、作曲への衝動を抑えきれなかったラフマニノフはやがて師と対立し、ズヴェーレフ邸を出ることになった。彼は父方の伯母の嫁ぎ先に当たるサーチン家に身を寄せ、そこで未来の妻となるナターリアと出会った。この後彼は毎年夏にタンボフ州イワノフカにあるサーチン家の別荘を訪れて快適な日々を過ごすのが恒例となった。